春先になれば
春先になれば、古い疵痕に痛みを覚える如く、軟かな風が面を吹いて廻ると、胸の底に遠い記憶が甦えるのであります。 まだ若かった私は、酒場の堅い腰掛の端にかけて、暖簾の隙間から、街頭に紅塵を上げて走る風に眼を遣りながら独り杯を含んでいました。そして、迫り来る春昏の愁しみを洩らすによしなかったのです。その頃から、出不精の癖がついて、花が咲いたときいても、見物に出かけることもなく、いつも歩く巷の通りを漫然と散歩して、末にこんな処へ立寄り、偶々、罎にさした桜の花が、傍の壁の鏡に色の褪せた姿をうつすのをながめて、書きかけている作品の構想に耽るようなこともありました。思えば自然主義から、浪漫主義時代にかけ、その頃の世の中の空気がなつかしいものに感ぜられます。...