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早い話が此頃東京で二三囘引續いて會合があり

早い話が此頃東京で二三囘引續いて會合があり、出席者はいつも五十人前後であつた。その中で眞實に酒好きでその味をよく知つてるといふ のは先づ和田山蘭、越前翠村に私、それから他に某々青年一二名位ゐのものである。菊池野菊、八木錠一、鈴木菱花の徒と來ると一滴も口にすることが出來ない のだ。そしてその他の連中は唯だ浮れて飮んで騷ぐといふにすぎない。にや/\しながら嘗めてゐるのもある。酒徒としてはいづれも下の下の組である。一度も 喧嘩をしないだけ先づ下の上位ゐには踏んでやつてもいゝかも知れぬ。噂(うはさ)だけでも斯ういふ噂は香ばしくない。出來るだけ速くその消滅を計り度い。心から好きなら飮むもよろしい。何を苦しんでかこれを稽古することがあらう。一度習慣となるとなか/\止められない。そしてだらしのない、いやアな酒のみになつてしまふのだ。...

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どうか諸君、さうした場合に

どうか諸君、さうした場合に、私には自宅に於いて飮むと同量の三合の酒を先づ勸めて下さい。それで若し私がまだ欲しさうな顏でもしてゐたらもう一本添へ て下さい。それきりにして下さい。さうすれば私も安心して味はひ安心して醉ふといふ態度に出ます。さうでないと今後私はそうした席上から遠ざかつてゆかね ばならぬ事になるかも知れない。これは何とも寂しい事だ。 獻酬といふのが一番いけない。それも二三人どまりの席ならばまだしもだが、大勢一座の席で盃のやりとりといふのが始まると席は忽ちにして亂れて來る。酒の味どころではなくなつて來る。これも今後我等の仲間うちでは全廢したいものだ。...

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運動をして飮めば惡醉をせぬといふ信念

運動をして飮めば惡醉をせぬといふ信念のもとに、飮まうと思ふ日には自ら鍬(くは)を 振り肥料を擔いで半日以上の大勞働に從事する創作社々友がいま私の近くに住んでゐる。この人はもと某專門學校の勅任教授をしてゐた中年の紳士であるが、さ うして飮まれる量は僅かに一合を越えぬ樣である。その一合を飮むためにそれだけの骨を折ることは下戸黨から見ればいかにも御苦勞さまのことに見えるかも知 れない。然し得難い樂しみの一つを得るがための努力であると見れば、これなども事實貴重な事業に相違ない。まつたく身體または心を働かせたあとに飮む酒は...

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その時新しい絹と

その時新しい絹と涸らした絹との話も出たと思いますが、私は近年、いつからともなく絹を涸らして使う習慣を持っています。涸らして使うというのは新しい絹をすぐ使わないで、暇のある時に何枚も何枚も枠張りしてその儘ほって置くのです。必ずそうした絹にばかり描いてるわけでもありませぬが、大体そうしたのを使います。それに又暇の時にはそうした絹にどうさを引いたり湯引きをして置きます。古いのになりますと二、三年ぐらいほってあるものもあります。そうしますと、枠張りが何処となく落着いて、叩いてもボンボンと太鼓でも叩くような張り切った感じがぬけて、何処となく柔かくむっくりして参ります。どうさにしても引き立てですと、いやにギラギラと光ってけばけばしい感じのするものですが、それも涸れて生々しい硬さが抜けて来ます。総じて真新しいものに較べて柔かみのある落着いた感じのするものとなります。...

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二、三年前竹杖会の研究会で

二、三年前竹杖会の研究会で年に二点は大小に拘わらず是非出品しなければいけないという規則が出来ましたので、いつぞや小品を一点持出したことがあります。ほんの小さな絵でしたがそれには土坡があって葦が生えているような図が描いてあったのです。ところがそれを見られて土田麦僊さんが不思議そうな顔付きで、この土坡の墨味がこういう風にムクーッと柔かくいってるのは一体どんな風にしてやられたのです、というお訊ねでした。それで私は、どんな風もこんな風も描き方には何も変った方法などありませぬ。唯この絹地は少し涸らした生絹に湯引きをしたのを使用してますので、それが真新しい生絹やどうさ引などに較べますとややそうした味が出て来るのかと思います、という返事をしたことでした。...

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懐しまれるのは去年の六月

懐しまれるのは去年の六月信州北穂の天狗の湯へ旅をしたときの思い出である。 立夏過ぎ一日二日、一行は松篁はじめ数人、私は足が弱いので山腹から馬の背をかりることにした。馬の背の片側にお炬燵のやぐらを結えつけ座蒲団を敷いて私がはいり、一方には重さの調節をとるようにいろいろの荷物をつけている、自分ながら一寸ほほえましい古雅な図である。馬子もちょっと風変りな男であった。馬はゆっくり落葉松や白樺の林の間をぬって進む。思いなしかわざと意地悪く道の端を歩くかのように、足どりにつれてグラリと揺られる私の身体は、何時も熊笹の生い上った深い山の傾斜の上につき出されているのでヒヤヒヤさせられた。ここかしこに山桜や山吹が咲きこぼれ、鶯の声や啄木鳥のくちばしの音が澄んできこえる。...

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十三、四の頃でした

十三、四の頃でした。今の京都ホテルのある場所に、京都府立画学校が設けられてありましたので、早速そこに入りました。初めは、花鳥を習いました。唐紙にお手本を写し描き、運筆の練習をいたしました。時には写生をしたり、古画の模写等をしました。私は幼い時から、母から江戸絵の美人画を与えられたせいか、人物画が好きでした。けれど画学校では人物画は一番難しいものとして、最後に教えることになっておりました。師の鈴木松年先生が私の心持を知って、 「それほど人物が好きなら学校の帰りに私の処にお寄りなさい。特に人物画を教えて上げましょう」...

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日本では特に身近にあるのがガンという病気

テレビや雑誌、新聞などで日々目にするガンという病気。 いつ誰がなってもおかしくない病気でありながらどこかで他人事でした。 我が家の場合は私の父が大腸ガンになりました。 父は離れて暮らしている為病気の間私には一切その話をせず、手術も終わり、退院してからしばらくして初めて大腸ガンであったと教えてくれました。 何よりおどろいたのは会った時の父の体重でした。 ふっくらしていた父がガリガリにまで激痩せしていたのです。 幸いなことに再発せずに現在に至っておりますが、大腸ガンになる日本人はとても多いとのことで、実際父がなってからは本当に他人事ではないんだと実感しました。...

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オーディオデバイスを削除してしまいました

この前、パソコンをいじっていたら間違ってオーディオデバイスを削除してしまいました。かなりあせりました。 パソコンはあんまり詳しくなくて、普段なら全然システムのところなんていじらないのに、たまたま買ってきたオーディオ系の雑誌にいろいろと小さな裏技が出ていて、ついついパソコン画面からそれらを試していたんです。 そうしたら間違ってクリックしちゃってあっというまに自分のパソコンのオーディオデバイスが削除されてしまいました。 削除されたものがそのままゴミ箱に入っていればまだよかったのですが、ファイルと違ってそう単純なものでもなく、本当に目の前が真っ暗になりかけました。...

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夏の雨のゝちの月こそ見所あれ

夏の雨のゝちの月こそ見所あれ、槇、しばなんどの、木の葉にきらめきて、こずゑ葉末に真珠の玉見ゆ。まへの池のおもにてる月波、風吹きて水うごくまゝに黄金の糸をしくにさも似たり。汀の草むら、露にぬれはてゝ、うつむき低れたるさまにて水にうつれるが、あきらかなる月の光に、あり/\と見ゆるもおもしろし。納涼はかゝる折こそよけれ。 秋は月の見どきなり。空いと澄みて、一むらの雲なく、夕つ方より東のかたを打ながめてあれば、しばしして山ぎは少しあかり、次第に光しげく、今少しすれば、大きやかなる、少しく赤みかゝりたる月さし昇る。みるまに山ぎは、はなれて中空にあがる、いつしか星のかげうせぬ。光みち/\てすきとほすばかりなり。事古りにたれど白居易の「二千里外故人心」の句よくもいひ出でたりと覚ゆ。よく月みざる人はもはや戸さす比、何くより来にけん、白雲月の前に横り、をりしも雁なきわたる。...

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