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では私に、裁判官の前で

「では私に、裁判官の前で、貴方の事件の弁護をさせて下さい。」とザディッグが言った。実際、彼のそのヘブライ人を法廷に召還し、裁判官に次のように言った。「平等の王座の枕もご照覧あれ。私は、私の主人の名において、この男に五百オンスの銀貨の返却を要求するものです。この男はこの金を返そうとしないのです。」「貴方には証人がありますか。」「いいえ、証人達は死んでしまいました。しかし、大きな石は残っています。その上で、銀貨が支払われたのです。そこで、もし閣下がその石を見つけに行くようお命じになって下されば、私はその石が証拠になってくれる事と期待しております。ヘブライ人と私は石が来るまで此処に残りましょう。私の主人のセトックの費用で、その石を捜しにやりますから。」「よかろう。」と、その裁判官は答えて、他の事件を片付け始めた。他の事件の審問が終わった後で、「ところで君の言っている石はまだ来ないのか。」と裁判官はザディッグに言った。橿原...

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娘に古本屋でよく絵本を買ってあげています。

私には7歳の娘がいます。 妻は、娘がまだお腹の中にいた頃から絵本を読み聞かせていました。時には私も手伝って、妻のお腹に向かって、絵本を読み続けていました。 毎回読み聞かせに使っていた絵本は同じもので、読んでいてリズム感のよい本を選んでいました。 そして、娘が無事に産まれ、すくすくと育つ過程の中で、以降もお腹の中にいたときと同じ絵本を読み聞かせたりもしていました。 すると、絵本や文章、文字にまったく抵抗感がなく、本好きの子供に育ちました。 私自身が読書好きなので、その影響もあるのかもしれませんが、娘もおもちゃより絵本がほしいと言って、今でもよくお願いされます。...

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程なく私は當時東雲堂の若主人西村小徑

程なく私は當時東雲堂の若主人西村小徑(いまの陽吉)君と一緒に雜誌『創作』を發行することになり、その創刊號と相前後して『別離』を同君方から出すこ とになつた。意外にこれがよく賣れたので、その前の二册はほんの内緒でやつた形があり、かた/″\で世間ではこの『別離』を私の處女歌集だと思ふ樣な事に なつた。また、内容も前二册の殆んど全部を收容したものであつた。これの再版か三版かが出た時に金拾五圓也を貰つて私は甲州の下部温泉といふに出向いた事 を覺えて居る。歌集で金を得たこれが最初である。 『創作』の毎月の編輯に間もなく私は飽いた來た。そしていはゆる放浪の旅が戀しく、三四年間で日本全國を...

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處女歌集『海の聲』出版當時のいきさつ

處女歌集『海の聲』出版當時のいきさつをばツイ二三ヶ月前の『短歌雜誌』に書いておいたから此處には略(はぶ)くが、思ひがけない人が突然に現はれて來てその人に同書の出版を勸められ、中途でその人がまた突如として居なくなつたゝめ自然自費出版の形になり、金に苦しみながら辛うじて世に出したものであつた。私が早稻田大學を卒業する間際の事であつた。 『獨り歌へる』は當時名古屋の熱田から『八少女』といふ歌の雜誌を出して中央地方を兼ね相當に幅を利かしてゐた一團の人たちがあつた。今は大方四散して歌 をもやめてしまつた樣だが、鷲野飛燕、同和歌子夫妻などはその頃から重だつた人であつた。その八少女會から出版する事になり、豫約の形でたしか二百部だけ...

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この一首が恐らく私にとつて

この一首が恐らく私にとつて梅の歌の出來た最初であつたらう。房州の布良(めら)に行つてゐた時の詠である。 年ごとにする驚きよさびしさよ梅の初花をけふ見つけたり うめ咲けばわがきその日もけふの日もなべてさびしく見えわたるかな これらは『砂丘』に載つてゐるので、私の三十歳ころのものである。 うめの花はつはつ咲けるきさらぎはものぞおちゐぬわれのこころに 梅の花さかり久しみ下褪(あ)せつ雪降りつまばかなしかるらむ 梅の花褪するいたみて白雪の降れよと待つに雨降りにけり うめの花あせつつさきて如月(きさらぎ)はゆめのごとくになか過ぎにけり...

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「いッ」と先づ脣と咽喉と下腹とを緊め固めて

「いッ」と先づ脣と咽喉と下腹とを緊め固めて、一種氣合をかける心持で、そして徐ろに次に及び、最後の「かァ」で再び腹に力を入れて高々と叫び上げるのださうである。 私は悉く贊成して、そして出來るだけの宣傳に努める事を約して歸つて來た。社友にも同感の人が少くないと思ふ。若し一人々々の力の及ぶ範圍に於てこれを實地に行つて頂けば幸である。 全國社友大會の適宜な場合に渡邊翁に音頭をとつていたゞいて先づその最初を試み度く思ふ。 梅咲くころ。 今年は梅がたいへんに遲かつた。 きさらぎは梅咲くころは年ごとにわれのこころのさびしかる月...

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どうかして「萬歳」の代りに

どうかして「萬歳」の代りにこの「いやさか」を擴め度い、聞けば君は世にひろく事をなしてゐる人ださうだから、君の手によつてこれを行つて貰ひ度い、それをいま頼みに行かうと思つてゐたのだ、と翁は語られた。 これは筧(かけひ)克彦博士が初めて發議せられたものであつたとおもふ。翁もさう言はれた。そして翁は多年機會あるごとにこの實地宣傳を試みられつゝあるのださうだ。 何かで筧博士のこの説を見た時、私は面白いと思つたのであつた。端なくまた斯ういふところで思ひがけない人からこの話を聞いて、再び面白いと思つた。然 し、一方は口馴れてゐるせゐか容易に呼び擧げられるが、頭で考へる「い、や、さ、か」の發音は何となく角ばつてゐて呼びにくいおもひがした。その事を翁に...

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第一これは外國語であり

第一これは外國語であり、而かもその外國語にしても漢音呉音の差により一は「バンゼイ」と發音さるべく、一は「マンザイ」と發音されねばならぬのに かゝはらず、現在の「バンザイ」ではどちらつかずの鵺語(ぬえご)となつてゐる。ことにその語音が尻すぼまりになつて、つまり「バンザイ」の「イ」が閉口音になつてゐるために、陰(いん)の氣を帶びてゐる。めでたき[#「めでたき」は底本では「めだたき」]席に於て祝福の意味を以て唱和さるべき種類のものとしてはどの點から考へても不適當であるといふのである。 それも他に恰好(かつかう)な言葉が無いのならば止むを得ないが、わが國固有の言葉として斯る場合に最もふさはしい一語がある。即ち「いやさか」である。「彌榮(いやさか)え」の意である。これは最初を、「イ」と口を緊(し)めておいて、やがて徐ろに明るく大きく「ヤサ、カァ」と開き上げて行く。...

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女人の歌

女人の歌。 『どうも女流の歌をば多く採りすぎていかん、もう少し削らうか。』 と私が言へば、そばにゐた人のいふ。 『およしなさいよ、女の人のさかりは短いんだから。』 いやさかと萬歳。 『十分ばかりお話がしたいが、いま、おひまだらうか。』 といふ使が隣家から來た。 ちやうど縁側に出て子供と遊んでゐたので、 『いゝや、ひまです。』 とそのまゝ私の方から隣家へ出かけて行つた、隣家とは後備陸軍少將渡邊翁の邸の事である。土地の名望家として聞え、沼津ではたゞ「閣下」とだけで通つてゐる。私を訪ぬるために沼津驛で下車した人が若し驛前の俥に乘るならば、...

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旅さきでのたべものゝ話

旅さきでのたべものゝ話。 折角遠方から來たといふので、たいへんな御馳走になることがある、おほくこれは田舍での話であるが。 これもたゞ恐縮するにすぎぬ場合がおほい。酒のみは多く肴をとらぬものである。もつとも獨酌の場合には肴でもないと何がなしに淋しいといふこともあるが、誰か相手があつて呉れゝばおほくの場合それほど御馳走はほしくないものである。 念のために此處に私の好きなものを書いて見ると、土地の名物は別として、先づとろゝ汁である。これはちひさい時から好きであつた。それから川魚のとれる處ならば川魚がたべたい。鮎、いはな、やまめなどあらばこの上なし。鮒(ふな)、鮠(はや)、鯉、うぐひ、鰻、何でも結構である。一體に私は海のものより川の魚が好きだ。但しこれは海のものよりたべる機會が少ないからかも知れない。...

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