運動をして飮めば惡醉をせぬといふ信念

Publié le par rikairyoku

運動をして飮めば惡醉をせぬといふ信念のもとに、飮まうと思ふ日には自ら鍬(くは)を 振り肥料を擔いで半日以上の大勞働に從事する創作社々友がいま私の近くに住んでゐる。この人はもと某專門學校の勅任教授をしてゐた中年の紳士であるが、さ うして飮まれる量は僅かに一合を越えぬ樣である。その一合を飮むためにそれだけの骨を折ることは下戸黨から見ればいかにも御苦勞さまのことに見えるかも知 れない。然し得難い樂しみの一つを得るがための努力であると見れば、これなども事實貴重な事業に相違ない。まつたく身體または心を働かせたあとに飮む酒は うまい。旅さきの旅籠屋(はたごや)などで飮むののうまいのも一に是に因るであらう。  旅で飮む酒はまつたくうまい。然し、私などはその旅さきでともすると大勢の人と會飮せねばならぬ場合が多い。各地で催さゝる歌會の前後などがそれであ る。酒ずきだといふことを知つてゐる各地方の人たちが、私の顏を見ると同時に、どうかして飮ましてやらう醉はせてやらうと手ぐすね引いて私の一顰一笑(いちびんいつせう)を見守つてゐる。從つて私もその人たちの折角の好意や好奇心を無にしまいため強ひてもうまい顏をして飮むのであるが、事實は甚ださうでない場合が多いのだ。これは底をわると兩方とも極めて割の惡い話に當るのである。 被リンク 揚げ足取りの名人になるな | 揚げ足取りの名人になるな

Pour être informé des derniers articles, inscrivez vous :
Commenter cet article