霧の夜
濃い霧は
私をうつとりとさせてしまつた
一間先も見えない
そこで私は一歩一歩前へあるいた
すこしづつ前方が見えてきて
あつちこつちで
ざわざわと人の立ち騒ぐ気配がした
しかし霧は濃く
人の姿はなかなか現はれない
なんと寂しいことだらう
しだいに襲つてきた霧は
すつかりと私をとりかこんで
わづかの空間をのこしたきり
私は正しくものごとを考へ
正しくものを視透す場所を
誰か他の者の手によつて
計画的にせばめられてゆくとしたら
それは恐ろしいことにちがひない
人々と心の連絡も切れてしまひ
そして霧の中で
むなしく行きちがひになつてしまふ
いまはじつと立ちすくんで
晴れてゆくのを待つてゐる
霧よ
晴れてゆけ
とほく轟と汽車のとほるひゞきが
一層私を不安にする。
大人とは何だらう
わたしの年齢は立派になつた
背丈ものびきつてしまつた
怖ろしいことと
辛いこととは
すべての人々と同じやうに私にも配分された
でもわたしはわからない
大人とは一体なんだらうと
もし私の鼻が喜んでくれるなら
鬚をたてゝみたい
もし私の唇が許可してくれたら
全部を語らずにいつも控へ目にしやべりたい
わたしはそれが出来ない
つくり声や、相手とのかけひきや、威厳の道具を
鼻の下にたくはへてをくことが
大人の世界に住む資格であつたら
わたしは永久に大人の仲間に入れない
わたしは大人のくせに
大人の仲間に入つてキョトンとしてゐる
勝手の分らないことが多いのだ、
思想の老熟などが
人生に価値あるものなら
わたしは明日にも腰をまげ
ごほんごほんと咳をしてみせる
一夜に老いてみせることも出来る
若い友達は
わたしをいつも仲間に迎へてくれる
だからわたしは
額に人工的なシワをつくつてをれない
たるんだ眼玉や、たるんだ声で
わかい精神を語れない
大人とは一体なんだらう、
死ぬ間際まで私はそれが判らないでしまふだらう。