どうして、親類どころか、定宿《じょうやど》もない

Publié le par rikairyoku

「どうして、親類どころか、定宿《じょうやど》もない、やはり田舎ものの参宮さ。」

「おや!」

 と大きく、

「それでもよく乗越しておいでなさりましたよ。この辺までいらっしゃいます前には、あの、まあ、伊勢へおいで遊ばすお方に、山田が玄関なら、それをお通り遊ばして、どうぞこちらへと、お待受けの別嬪《べっぴん》が、お袖《そで》を取るばかりにして、御案内申します、お客座敷と申しますような、お褥《しとね》を敷いて、花を活《い》けました、古市があるではござりませぬか。」

 客は薄ら寒そうに、これでもと思う状《さま》、燗《かん》の出来立《できたて》のを注《つ》いで、猪口《ちょく》を唇に齎《もた》らしたが、匂《におい》を嗅《か》いだばかりでしばらくそのまま、持つ内に冷《つめた》くなるのを、飲む真似《まね》して、重そうにとんと置き、

「そりゃ何だろう、山田からずッと入ると、遠くに二階家を見たり、目の前に茅葺《かやぶき》が顕《あらわ》れたり、そうかと思うと、足許《あしもと》に田の水が光ったりする、その田圃《たんぼ》も何となく、大《おおき》な庭の中にわざと拵《こしら》えた景色のような、なだらかな道を通り越すと、坂があって、急に両側が真赤《まっか》になる。あすこだろう、店頭《みせさき》の雪洞《ぼんぼり》やら、軒提灯《のきぢょうちん》やら、そこは通った。」

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